日本では葬儀に費用をかける時代もありました。
特に昭和の時代はそうだったといわれています。
しかし平成となり次第に葬儀費用の縮小となっていき、特に家族葬というものが出現してからは葬儀費用の縮小には拍車がかかったように思います。
私個人としては家族葬で十分という考えでいますが、今回はこのあたりの事情についてまとめておきたいと思います。
介護期間の長期化
みなさんもご存じだと思いますが、日本人の平均寿命は長期化しています。
しかしよくみれば、健康な状態で死を迎えているわけではありません。
そのため寝たきり、介護期間という期間も長期化しています。
故人の資産で老人ホームに入居できれば問題ありませんが、喪主にもその負担が来ます。
そのためこの介護期間の長期化によって故人と喪主の資産の劣化ということで葬儀費用が減少するということも背景にあると思います。
参照
バブルの崩壊と厳しい経済状況
平成に入るころから特に日本の状態は悪くなってきました。
- 派遣切り
- 若年者でも仕事もない
- 消費税のアップ
などここで書くまでもなく経済情勢は厳しいといって良いと思います。
上記にも紹介しましたように介護期間の長期化とともに、経済情勢の悪化も葬儀費用をかけられない原因となっていると思います。
宗教や葬儀にありがたみを感じなくなった
昔の日本では信仰心が強い人がもっといました。
そのため読経、戒名もないようなものは葬儀ではないと思ったかもしれません。
しかし日本においては無宗教、合理的な人も増え、目に見えないものにありがたみを感じない人も増加したと思います。
法律的には火葬さえすれば問題ないわけで、葬儀や僧侶の方の読経や戒名も一切なくても問題を感じない人が増えたという背景もあります。
参照
「遺体をお墓以外の場所に許可なく埋めることは何の問題があるのか?」
人間関係の変化
また都市部では特に核家族が多くなったことも原因としてあると思います。
他にも近所の方の名前や顔も知らないという方も多いかもしれません。
昔は近所の方に葬儀の手伝いをしてもらい、香典も受けて、その代わりに参列もしてもらって大規模な葬儀となったという要因もありました。
現在ではこのような近所間での手伝いの関係性も薄くなり、その代わりに葬儀社や貸会場を利用するという背景もあります。
必然的に葬儀は小規模で家族葬が増加するとなります。
家族葬のまとめ
冒頭にも紹介しましたが、私自身はこのように葬儀が小規模になることで良いと考えています。
葬儀とはもともと故人の見送りであり、来たくもない人に付き合いで参列してもらうことが目的でもありません。
また故人も気心の知れた人だけに見送ってもらえばそれで十分と考えるのではないでしょうか?
家族葬ということで故人を冒涜しているのではないかと気にする方も多いようですが、家族だけで本当に心のこもった葬儀ができれば目的は達成していると考えて良いと思っています。
参照
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