葬儀の意味や目的にはさまざまなものがあります。
- 故人の人生をたたえること
- 故人を弔うこと
- 宗教的に必要なこと
- 法律的に火葬が必要だから
- 世間体
- 遺族の悲しみをやわらげる
このどれもが意味としては正しいかもしれません。
火葬というものは最低限法律で定められているものであり、行わないと遺体遺棄となり犯罪者となってしまいます。
参照
「遺体をお墓以外の場所に許可なく埋めることは何の問題があるのか?」
しかしその他の理由から葬儀は行うものといえるでしょう。
故人を見送るということ
私個人の考えとしては
- 故人を見送るということ
- 喪主としては一家の棟梁である覚悟を持つこと
- 喪主の子供としては死を経験すること
と故人、喪主、そしてその家族にそれぞれ意味があると思っています。
故人の見送りが中心だと思いますが、参列する家族として感じること、これも葬儀では大きな意味ではないでしょうか?
どのような形であれ故人が人生を最後まで生きました。
苦しいときも、楽しいときも、生きてきました。
その人生も終わりました。
そしてその家族として貴方は生き様と見てきました。
お世話になったこともありますし、ときに迷惑を感じたこともあるかもしれません。
しかし今後は二度と会うこともできませんし、遺体も火葬後に見ることは絶対にできません。
今生の別れを徐々に意識するために葬儀という一定の時間をかけた儀式が必要なのかもしれません。
お骨になった故人を見て感じること
どのような故人であれ、貴方よりも先に行き、先に老い、先に死の恐怖も感じ、そして死んでいきました。
その様子を見てきて、お骨になった故人と再会をし、
- 自分もお骨になるのは確実で生きているうちにやっておくことがある
- 業績や成功、そしてあらゆる物質的なものは流れ去り、消滅する
といったことを感じます。
それは喪主の子供といった小さな子でも同様です。
故人の死は生きている者にとっては逆に人生や生きるということを考えさせます。
これはその場だけのことではなく、将来的に何かのときに故人を思い出すとフラッシュバックして思い出すこととなります。
そのときに自分の人生に価値があるのか、もし価値がないように感じるのならどのようにすれば価値を出すことができるのかといった気づきにもつながるでしょう。
そして貴方もいつか故人となりますが、孫に同様のことを考えさせます。
いうなれば死や葬儀というのは最後の親から子への実物教育といっても良いでしょう。
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